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半蔵ブログ ~ 半蔵門で立ち往生する社長 ~

空亡

  • Posted by: 管理者
  • 2012年1月19日 04:50
  • その他

四柱推命では、誕生日の翌日から約3ヶ月間を空亡という。
母の胎内に生命が宿り、誕生するまでの10月10日、
1年のうちでその時期以外には自分が存在しなかった期間として
運勢上、良くない期間とされる。
この期間には、健康を害したり、良くないことが周りで起こるとされ、
注意しなければならない期間だ。

小生の場合、12/22~3/12がそれにあたる。
毎年、年末には風邪を引いたりして体調を崩していたのだが、
今回のは酷かった。

11月末ころから喉に変調を来たす。
医者に行って抗生物質をもらうと良くなっていたので、
安心していたのだが、ちょっと無理をするとまたぶり返してくる。
あげく、21日の誕生日には喉の痛みが激しく、ついに熱も出てしまう。
医者に駆け込んで、抗生物質で熱は下がったのだが、
無理していった12/23のゴルフがまずかった。
河川敷のコースは風が強く、
気がつけばすっかり喉をやられていた。
その日の夕食時に友人と話をしているとだんだん声が出なくなる。
翌日、友人からかかってきた電話に出ようとしたら
全く声が出なくなってしまっていた。
おかげで、クリスマスイブは家から一歩も出れず、
25日には友人達とクリスマスランチがあったがここでも
殆どじゃべれないので、早々に退散して帰宅。
翌日からも声が出ず、顧客との打ち合わせはキャンセルしてもらい、
28日の忘年会でも声がまともに出ない。
そのまま29日には岡山に帰省。
帰省中もほぼずっと安静に。

年が明けて、なんとか声は出るようになるが、
喉の違和感は消えず、今度は咳が酷い。
それから今日まで、未だに完治しない。
なんともパッとしない年の始まりになってしまった。

初乗り

  • Posted by: 管理者
  • 2012年1月10日 09:28
  • バイク

8日の日曜日に、BMWで今年初のツーリングに行ってきた。
メンバーは、Kさんと昨年からツーリング仲間になったMさん。

朝8時半に湾岸幕張PAに集合。
風はあまりないが、太陽が雲にかくれるとやはり寒い。
今回は小生の発案で南房総に初詣ツーリング。

市原PAでガソリンを補充し、
一気にそのまま館山道の終点まで走る。
まずは、館山にある小塚太子へ。
ここはあまり知られていないが、
弘法大師が開祖である由緒ある厄除け太子だ。
ここで昨年のお札を納め、
お参りのあと、交通安全のお札を購入。
それから、5分ほどで行ける安房神社へ。
安房神社はかなり大きな神社で、
ここも伊勢神宮の直系列にあたる由緒正しい神社。
ここでお参りして、伊勢神宮のお札を購入した。

それから、フラワーロードを走って、
海の駅「だいぼ工房」で少し早めの昼食。
ここは最近お気に入りの場所。
房総半島のほぼ最南端にあり景色がすばらしい。
天気の良い日は富士山が望める。
そこでカマスのフライ定食を食べる。
アジフライのような大きな身が3枚もついて1200円。
漁協がやっている店なので安くてうまい。

12時過ぎまでだいぼ工房で休憩し、
そこから帰路につく。
今回はアクアラインを通らず、
行きと全く同じコースで京葉道路から湾岸道路に抜けて帰宅。
寒くて風邪が少しぶり返してしまった(汗)

人生プラマイゼロ

  • Posted by: 管理者
  • 2011年8月22日 03:42
  • その他

一昨日、古い友人が亡くなった。享年47歳。
彼とは、25年くらい前に知り合った。
当時、小生は富士通のサラリーマンで、
遊びで知り合った友人と良くディスコパーティをやっていた。
そこで、その彼の会社の後輩ということで紹介されたのがST君だった。

大手商社の新入社員、慶応出身の彼は、
サラリーマンを続けながら歌手になるという。
時代は、バブル直前、秋元康がオニャンコクラブでヒットを飛ばしていた。
なんでも出来そうな、輝いている時代だった。
我々はすぐに彼らのファンクラブに登録。
我々も異業種交流会を立ち上げ、彼らを組織的に応援。
何度も彼らのミニコンサートにかけつけ応援した。
結果、見事にポニーキャニオンよりメジャーデビュー。
何曲かのヒットも飛ばした。

それから、彼は独立し、就職支援の会社を作る。
ここでも彼の書いた本はベストセラーになる。
確か、この会社を作る際に、当時異業種交流会の代表をしていた小生は
会社案内の巻末に推薦メッセージを書かせてもらった。
今から思えば、大変光栄なことだ。

さらに、2001年には猛勉強してハーバードに留学。
帰国後は、英語教育の会社を立ち上げる。

その頃から、どうも彼が大病を患っているという噂を聞く。
心配していたが、なんだか様子を聞くのも怖く、
結局そのままになっていた。

ところが、今年の5月末に当時の友人の結婚式があり、
その結婚式で実に15年ぶりくらいに再会した。
病気のせいか、声を出すのは辛そうだったが、
顔色は悪くなく、タキシード姿も彼らしくおしゃれだったので
少し安心し、順調に回復しているのだと思っていた。

その2ヵ月後の訃報。

彼とは年齢が少し離れている(小生の4つ年下)ということもあり、
どこかよそよそしい感じをうけていた。
後輩ながら、いつも輝いていて眩しかったのかもしれない。
たぶん、彼も小生には距離を感じていたことだと思う。
そんな彼が、2ヶ月前の結婚式で小生と同じテーブルになり、
言葉はなかったが、ずっと小生の顔を見て微笑んでくれていた。
そのやさしい顔が目に焼きついている。

彼が亡くなった日、小生は軽井沢に居て、
同級生の友人達と会話をしていた。
そこで、たまたま「人生はプラスマイナスゼロ」だよという話が出た。
競輪選手の友人が昔は相当な給与をもらっていたが、
今は競輪の人気も衰え、安い給料で老体に鞭打って仕事している
状況をたとえて、その奥さんが発した言葉だ。

ST君の訃報を聞き、その言葉が頭をよぎった。
上述のごとく、彼はまさにスーパーマンだった。
そのつけが、この結果であれば、あまりにも悲しすぎる。 

3.11の記録

  • Posted by: 管理者
  • 2011年3月16日 10:24
  • その他

この日の自分に起こった出来事を後々忘れないために書いておく。
3月11日金曜日、午前中会社での雑務を終えた小生は、
夜に予定されている加納さん主催の懇親会までの間、
一旦帰宅して、自宅で仕事するため、午後2時過ぎに会社を出る。
地下鉄半蔵門線に乗り、自宅のある水天宮前に向かう。
電車の中は比較的空いていて、小生が座った座席の左には
中年サラリーマンが一人と、右には主婦らしいおばさんとOLの女性。
向かいにはサラリーマンが3人ほど。
三越前を過ぎ、水天宮前駅にたどり着く手前で、
社内アナウンスが流れる。
地震情報が出たため、急ブレーキをかけるとのこと。
それほど急ブレーキでもなかったが、電車が急停車する。
その後、小さな横揺れがあったあと、かなり大きな揺れを感じる。
車両全体がぐらぐらと揺れるものであったが、
どこかにしがみついていないと座席から振り落とされるような激しさはなかった。
立っている人がいれば、危なかったが、幸いその車両の乗客は皆座っていた。
右隣のおばさんとOLは怖がっていたが、周りのサラリーマンは比較的冷静で、
そのまま本を読んでいる人もいた。
社内アナウンスで、地下鉄は地震に強い構造で出来ているので、
車外に出ないで車内で待機してくださいと言っていたが、
その後の外の状況を鑑みると確かにその通りだったと思う。
次の駅が近いこともわかっていたので、地震が収まったら最悪、
線路を歩けば良いかと考えていたが、5分か10分で
5キロ以下のスピードではあるが、電車が動き出した。
そして、無事に水天宮前駅に到着する。
この電車は確か清澄白河行きだったと思うが、
この水天宮前駅で全員降ろされてしまった。
ただ、小生はここが目的の駅なので全く問題無い。
急いで自宅のあるマンションに向かう。
駅から続く、東京シティーエアターミナルの中では、
女性がうずくまっていて数人が心配そうにそれを取り囲んでいる。
きっと気分が悪くなったのだろう。
ただ、電車内にいた小生は地震の程度がわからないので
ちょっと違和感を感じた。
建物の外に出ると、電線がゆれているので、まだ地震が続いていることを知る。
携帯で会社や社員に電話をかけるが、全く繋がらない。
マンションの前まで来ると、管理人や住人が数名、外で様子を見ていた。
マンションに入ろうとすると、管理人がエレベーターは止まってますとのこと。
仕方なく階段で10階まで登ることに。
途中、マンションの内壁にひびが入っている箇所を何箇所か発見。
10階に着くと、部屋の窓が開いている家や、
入り口に置いてあった傘立てが散乱していた。
自分の家に入ると物入れに入れてたった荷物が廊下に散乱していて
部屋まで行くのが大変だった。
廊下から書斎をのぞくと、本棚やロッカーが倒れていて、
CDや本が散乱している。このため、部屋の扉が完全に開かない。
キッチンを見ると、戸棚から食器が落下していて、
割れた皿やガラスが床に散乱している。
また、電子tレンジやトースターが床に転がっている。
リビングを見ると、テレビがテレビ台ごと動いていて、
ポール型の照明器具が倒れている。
ベットルームもほぼ同様。
買ったばかりの液晶テレビが倒れていたが壊れてはいなかった。
これは片付けが大変だなと思った瞬間、
大きな揺れが。。とても立っていられなくて廊下の左右の壁を押さえて
自分も身体を支える。
これはまずいと思い、とりあえず通帳と印鑑と持ち、
あわてて家を出て、マンションの階段を駆け下りた。
会社が心配だ。会社は古いビルでかなり揺れるのでけが人が出てるのではないか?
近くの公衆電話を探すが見当たらない。もちろん、携帯も繋がらない。
仕方がないので、地震が収まるまでマンションの近くをうろうろする。
30分ほどうろうろしていただろうか、だいぶ揺れも収まってきたので、
10階の部屋に戻って、片付けを始める。
一段落した時点で、iphoneでメールを確認すると会社のスタッフから
小生宛にメールが届いていた。4時前に発信されたものだ。
会社にいたスタッフは皆無事で、皆外に避難しているとのこと。
ほどなくして、社外に出ていたスタッフからも無事だというメールが届く。
どうやら、小生だけが連絡が取れなかったようだ。
それにしても、今回繋がったのはネットだけだった。
会社の中はぐちゃぐちゃになっているそうだが、
戸締りはしてくれたとのことなので、皆に帰宅するように指示。
ただ、帰宅するのはそう簡単なことではなかったのだが。

契約社員を含めた全てのスタッフの無事が確認できたので、
自宅の片付けを続ける。
TVを着けるとだんだん地震の状況がわかってきた。
東北地方でマグニチュード8以上の大地震であることがわかる。
東京での揺れも激しかったが、まさかそんなに大きな地震だったとは。
部屋の片付けを始めたころ、社員の一人からメールが届く、
なんでもこの近くにいるらしい、家に来たいとのことだ。
程なく玄関のチャイムが鳴り、彼が来る。
事情を聞くと、八丁堀に勤めている伯父さんと一緒にタクシーで家に
帰ろうと思って、会社から歩いてきたがどうしても伯父さんに電話が
繋がらないとのこと。
帰る手段が無いので、伯父さんに連絡が取れない場合、
家に泊めて欲しいということになった。
ちょうど良いので彼に部屋の片付けを手伝ってもらった。
午後7時くらいになり、食事に行くことにした。
マンションを出ると大通りは民族大移動のごとく歩道は千葉方面へ歩く人々で一杯だ。
皆整然と同じ方向に進んでおり、なんとも奇妙な光景だ。
この調子だと食べ物屋はどこも一杯だろうなと思ったが、
案の定、通りに面した店はどこも一杯だった。
近所にあるが一度も行ったことの無い路地裏の居酒屋に入ると意外と空いてて
二人組のサラリーマンと近所のおじさんの3人しか客がいない。
そこで、焼き鳥やポテトサラダなどを食べ日本酒で身体を温めた。
9時で店が閉まったので、家に帰る。
結局彼の伯父さんとは連絡がつかず、家に泊まることになった。
風呂に入ろうと思ったがガスが出ない。
ほろ酔い気分と疲れのため、そのまま着替えて寝ることにした。
その夜も何度か揺れが続き、TVでは地震注意報が5分おきくらいに鳴る、
とても安眠できる状態ではなかった。
明け方4時前にも、長野、新潟地方で震度6以上の地震があり、
東北から離れた地方での連発地震に、かつて幼少期に見た
映画「日本沈没」の光景を思い浮かべ、いよいよ日本の終末が来たかと思った。
こうして不気味な夜が明けた。 

今年のスタート

  • Posted by: 管理者
  • 2011年2月 6日 02:39
  • その他

毎年年末に実家に帰ると、風邪を引いてしまうが、
今回もやはり風邪を引いてしまい、体調不良の中、正月を迎えた。

一日は昼から、雨混じりの中、子供の頃から良く行っていた
近所の玉姫神社で初詣を済ませ、姪っ子の子供を見にゆく。
妹の孫にあたる子供だ。

3日には、中学校の同窓会に参加した。
同窓会と称するものに、初めての参加である。
この日に合わせ、2日は安静にしていたのだが、
まだ喉の痛みや鼻詰まりが治らず、体調不良の中、同窓会に参加した。
参加者は約60名、実に35年振りに会う人も多い。
ただ、このうちの三分の一は小学校も同じなので
知っている友人も多いはずなのだが、
最初は異邦人になった気分で、疎外感を感じた。
相手もおそるおそる声をかけてくる。
しかし、しばらくすると顔というよりは、
話し方とか雰囲気で互いに思い出してきた。
そうなると、一気に中学生に戻って親近感が湧いてきた。
この同窓会は二回目で、一回目に出た人達も、
最初はそんな感じだったようだ。
小生も最初は、体調不良なので一次会で引き上げるつもりだったが、
二次会まで盛り上がってしまった。

そのつけは、翌日から来た。
新幹線で帰京する途中から、吐き気とダルさがきて、
その夜はついに熱まで出てしまう。
5日が小生の初日なので、なんとか朝から出勤したが、
結局午後から医者にゆく羽目になった。

翌6日、なんとか神田明神へ初詣し、会社に飾る熊手を買ってくる。
7日も体調が悪く、結局その週は全く仕事にならなかった。

13日の週からやっと仕事に復帰。
なんともバッとしない滑り出しになった。

そして、1/26の日曜日にハーレー仲間と初ツーリング。
天気はまずまずだが、大寒の寒波の中、三崎にマグロを食べにいった。
バイカーとしての新年行事もおわり、正月気分も抜けて、
いよいよ今年の本格的なスタートとなる。
 

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