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その他 Archive

空亡

  • Posted by: 管理者
  • 2012年1月19日 04:50
  • その他

四柱推命では、誕生日の翌日から約3ヶ月間を空亡という。
母の胎内に生命が宿り、誕生するまでの10月10日、
1年のうちでその時期以外には自分が存在しなかった期間として
運勢上、良くない期間とされる。
この期間には、健康を害したり、良くないことが周りで起こるとされ、
注意しなければならない期間だ。

小生の場合、12/22~3/12がそれにあたる。
毎年、年末には風邪を引いたりして体調を崩していたのだが、
今回のは酷かった。

11月末ころから喉に変調を来たす。
医者に行って抗生物質をもらうと良くなっていたので、
安心していたのだが、ちょっと無理をするとまたぶり返してくる。
あげく、21日の誕生日には喉の痛みが激しく、ついに熱も出てしまう。
医者に駆け込んで、抗生物質で熱は下がったのだが、
無理していった12/23のゴルフがまずかった。
河川敷のコースは風が強く、
気がつけばすっかり喉をやられていた。
その日の夕食時に友人と話をしているとだんだん声が出なくなる。
翌日、友人からかかってきた電話に出ようとしたら
全く声が出なくなってしまっていた。
おかげで、クリスマスイブは家から一歩も出れず、
25日には友人達とクリスマスランチがあったがここでも
殆どじゃべれないので、早々に退散して帰宅。
翌日からも声が出ず、顧客との打ち合わせはキャンセルしてもらい、
28日の忘年会でも声がまともに出ない。
そのまま29日には岡山に帰省。
帰省中もほぼずっと安静に。

年が明けて、なんとか声は出るようになるが、
喉の違和感は消えず、今度は咳が酷い。
それから今日まで、未だに完治しない。
なんともパッとしない年の始まりになってしまった。

人生プラマイゼロ

  • Posted by: 管理者
  • 2011年8月22日 03:42
  • その他

一昨日、古い友人が亡くなった。享年47歳。
彼とは、25年くらい前に知り合った。
当時、小生は富士通のサラリーマンで、
遊びで知り合った友人と良くディスコパーティをやっていた。
そこで、その彼の会社の後輩ということで紹介されたのがST君だった。

大手商社の新入社員、慶応出身の彼は、
サラリーマンを続けながら歌手になるという。
時代は、バブル直前、秋元康がオニャンコクラブでヒットを飛ばしていた。
なんでも出来そうな、輝いている時代だった。
我々はすぐに彼らのファンクラブに登録。
我々も異業種交流会を立ち上げ、彼らを組織的に応援。
何度も彼らのミニコンサートにかけつけ応援した。
結果、見事にポニーキャニオンよりメジャーデビュー。
何曲かのヒットも飛ばした。

それから、彼は独立し、就職支援の会社を作る。
ここでも彼の書いた本はベストセラーになる。
確か、この会社を作る際に、当時異業種交流会の代表をしていた小生は
会社案内の巻末に推薦メッセージを書かせてもらった。
今から思えば、大変光栄なことだ。

さらに、2001年には猛勉強してハーバードに留学。
帰国後は、英語教育の会社を立ち上げる。

その頃から、どうも彼が大病を患っているという噂を聞く。
心配していたが、なんだか様子を聞くのも怖く、
結局そのままになっていた。

ところが、今年の5月末に当時の友人の結婚式があり、
その結婚式で実に15年ぶりくらいに再会した。
病気のせいか、声を出すのは辛そうだったが、
顔色は悪くなく、タキシード姿も彼らしくおしゃれだったので
少し安心し、順調に回復しているのだと思っていた。

その2ヵ月後の訃報。

彼とは年齢が少し離れている(小生の4つ年下)ということもあり、
どこかよそよそしい感じをうけていた。
後輩ながら、いつも輝いていて眩しかったのかもしれない。
たぶん、彼も小生には距離を感じていたことだと思う。
そんな彼が、2ヶ月前の結婚式で小生と同じテーブルになり、
言葉はなかったが、ずっと小生の顔を見て微笑んでくれていた。
そのやさしい顔が目に焼きついている。

彼が亡くなった日、小生は軽井沢に居て、
同級生の友人達と会話をしていた。
そこで、たまたま「人生はプラスマイナスゼロ」だよという話が出た。
競輪選手の友人が昔は相当な給与をもらっていたが、
今は競輪の人気も衰え、安い給料で老体に鞭打って仕事している
状況をたとえて、その奥さんが発した言葉だ。

ST君の訃報を聞き、その言葉が頭をよぎった。
上述のごとく、彼はまさにスーパーマンだった。
そのつけが、この結果であれば、あまりにも悲しすぎる。 

3.11の記録

  • Posted by: 管理者
  • 2011年3月16日 10:24
  • その他

この日の自分に起こった出来事を後々忘れないために書いておく。
3月11日金曜日、午前中会社での雑務を終えた小生は、
夜に予定されている加納さん主催の懇親会までの間、
一旦帰宅して、自宅で仕事するため、午後2時過ぎに会社を出る。
地下鉄半蔵門線に乗り、自宅のある水天宮前に向かう。
電車の中は比較的空いていて、小生が座った座席の左には
中年サラリーマンが一人と、右には主婦らしいおばさんとOLの女性。
向かいにはサラリーマンが3人ほど。
三越前を過ぎ、水天宮前駅にたどり着く手前で、
社内アナウンスが流れる。
地震情報が出たため、急ブレーキをかけるとのこと。
それほど急ブレーキでもなかったが、電車が急停車する。
その後、小さな横揺れがあったあと、かなり大きな揺れを感じる。
車両全体がぐらぐらと揺れるものであったが、
どこかにしがみついていないと座席から振り落とされるような激しさはなかった。
立っている人がいれば、危なかったが、幸いその車両の乗客は皆座っていた。
右隣のおばさんとOLは怖がっていたが、周りのサラリーマンは比較的冷静で、
そのまま本を読んでいる人もいた。
社内アナウンスで、地下鉄は地震に強い構造で出来ているので、
車外に出ないで車内で待機してくださいと言っていたが、
その後の外の状況を鑑みると確かにその通りだったと思う。
次の駅が近いこともわかっていたので、地震が収まったら最悪、
線路を歩けば良いかと考えていたが、5分か10分で
5キロ以下のスピードではあるが、電車が動き出した。
そして、無事に水天宮前駅に到着する。
この電車は確か清澄白河行きだったと思うが、
この水天宮前駅で全員降ろされてしまった。
ただ、小生はここが目的の駅なので全く問題無い。
急いで自宅のあるマンションに向かう。
駅から続く、東京シティーエアターミナルの中では、
女性がうずくまっていて数人が心配そうにそれを取り囲んでいる。
きっと気分が悪くなったのだろう。
ただ、電車内にいた小生は地震の程度がわからないので
ちょっと違和感を感じた。
建物の外に出ると、電線がゆれているので、まだ地震が続いていることを知る。
携帯で会社や社員に電話をかけるが、全く繋がらない。
マンションの前まで来ると、管理人や住人が数名、外で様子を見ていた。
マンションに入ろうとすると、管理人がエレベーターは止まってますとのこと。
仕方なく階段で10階まで登ることに。
途中、マンションの内壁にひびが入っている箇所を何箇所か発見。
10階に着くと、部屋の窓が開いている家や、
入り口に置いてあった傘立てが散乱していた。
自分の家に入ると物入れに入れてたった荷物が廊下に散乱していて
部屋まで行くのが大変だった。
廊下から書斎をのぞくと、本棚やロッカーが倒れていて、
CDや本が散乱している。このため、部屋の扉が完全に開かない。
キッチンを見ると、戸棚から食器が落下していて、
割れた皿やガラスが床に散乱している。
また、電子tレンジやトースターが床に転がっている。
リビングを見ると、テレビがテレビ台ごと動いていて、
ポール型の照明器具が倒れている。
ベットルームもほぼ同様。
買ったばかりの液晶テレビが倒れていたが壊れてはいなかった。
これは片付けが大変だなと思った瞬間、
大きな揺れが。。とても立っていられなくて廊下の左右の壁を押さえて
自分も身体を支える。
これはまずいと思い、とりあえず通帳と印鑑と持ち、
あわてて家を出て、マンションの階段を駆け下りた。
会社が心配だ。会社は古いビルでかなり揺れるのでけが人が出てるのではないか?
近くの公衆電話を探すが見当たらない。もちろん、携帯も繋がらない。
仕方がないので、地震が収まるまでマンションの近くをうろうろする。
30分ほどうろうろしていただろうか、だいぶ揺れも収まってきたので、
10階の部屋に戻って、片付けを始める。
一段落した時点で、iphoneでメールを確認すると会社のスタッフから
小生宛にメールが届いていた。4時前に発信されたものだ。
会社にいたスタッフは皆無事で、皆外に避難しているとのこと。
ほどなくして、社外に出ていたスタッフからも無事だというメールが届く。
どうやら、小生だけが連絡が取れなかったようだ。
それにしても、今回繋がったのはネットだけだった。
会社の中はぐちゃぐちゃになっているそうだが、
戸締りはしてくれたとのことなので、皆に帰宅するように指示。
ただ、帰宅するのはそう簡単なことではなかったのだが。

契約社員を含めた全てのスタッフの無事が確認できたので、
自宅の片付けを続ける。
TVを着けるとだんだん地震の状況がわかってきた。
東北地方でマグニチュード8以上の大地震であることがわかる。
東京での揺れも激しかったが、まさかそんなに大きな地震だったとは。
部屋の片付けを始めたころ、社員の一人からメールが届く、
なんでもこの近くにいるらしい、家に来たいとのことだ。
程なく玄関のチャイムが鳴り、彼が来る。
事情を聞くと、八丁堀に勤めている伯父さんと一緒にタクシーで家に
帰ろうと思って、会社から歩いてきたがどうしても伯父さんに電話が
繋がらないとのこと。
帰る手段が無いので、伯父さんに連絡が取れない場合、
家に泊めて欲しいということになった。
ちょうど良いので彼に部屋の片付けを手伝ってもらった。
午後7時くらいになり、食事に行くことにした。
マンションを出ると大通りは民族大移動のごとく歩道は千葉方面へ歩く人々で一杯だ。
皆整然と同じ方向に進んでおり、なんとも奇妙な光景だ。
この調子だと食べ物屋はどこも一杯だろうなと思ったが、
案の定、通りに面した店はどこも一杯だった。
近所にあるが一度も行ったことの無い路地裏の居酒屋に入ると意外と空いてて
二人組のサラリーマンと近所のおじさんの3人しか客がいない。
そこで、焼き鳥やポテトサラダなどを食べ日本酒で身体を温めた。
9時で店が閉まったので、家に帰る。
結局彼の伯父さんとは連絡がつかず、家に泊まることになった。
風呂に入ろうと思ったがガスが出ない。
ほろ酔い気分と疲れのため、そのまま着替えて寝ることにした。
その夜も何度か揺れが続き、TVでは地震注意報が5分おきくらいに鳴る、
とても安眠できる状態ではなかった。
明け方4時前にも、長野、新潟地方で震度6以上の地震があり、
東北から離れた地方での連発地震に、かつて幼少期に見た
映画「日本沈没」の光景を思い浮かべ、いよいよ日本の終末が来たかと思った。
こうして不気味な夜が明けた。 

今年のスタート

  • Posted by: 管理者
  • 2011年2月 6日 02:39
  • その他

毎年年末に実家に帰ると、風邪を引いてしまうが、
今回もやはり風邪を引いてしまい、体調不良の中、正月を迎えた。

一日は昼から、雨混じりの中、子供の頃から良く行っていた
近所の玉姫神社で初詣を済ませ、姪っ子の子供を見にゆく。
妹の孫にあたる子供だ。

3日には、中学校の同窓会に参加した。
同窓会と称するものに、初めての参加である。
この日に合わせ、2日は安静にしていたのだが、
まだ喉の痛みや鼻詰まりが治らず、体調不良の中、同窓会に参加した。
参加者は約60名、実に35年振りに会う人も多い。
ただ、このうちの三分の一は小学校も同じなので
知っている友人も多いはずなのだが、
最初は異邦人になった気分で、疎外感を感じた。
相手もおそるおそる声をかけてくる。
しかし、しばらくすると顔というよりは、
話し方とか雰囲気で互いに思い出してきた。
そうなると、一気に中学生に戻って親近感が湧いてきた。
この同窓会は二回目で、一回目に出た人達も、
最初はそんな感じだったようだ。
小生も最初は、体調不良なので一次会で引き上げるつもりだったが、
二次会まで盛り上がってしまった。

そのつけは、翌日から来た。
新幹線で帰京する途中から、吐き気とダルさがきて、
その夜はついに熱まで出てしまう。
5日が小生の初日なので、なんとか朝から出勤したが、
結局午後から医者にゆく羽目になった。

翌6日、なんとか神田明神へ初詣し、会社に飾る熊手を買ってくる。
7日も体調が悪く、結局その週は全く仕事にならなかった。

13日の週からやっと仕事に復帰。
なんともバッとしない滑り出しになった。

そして、1/26の日曜日にハーレー仲間と初ツーリング。
天気はまずまずだが、大寒の寒波の中、三崎にマグロを食べにいった。
バイカーとしての新年行事もおわり、正月気分も抜けて、
いよいよ今年の本格的なスタートとなる。
 

仕事納め

  • Posted by: 管理者
  • 2010年12月28日 07:05
  • その他

今日で会社の仕事納め。
大掃除も終わり、簡単な納会をやって
この後の別の忘年会への合間で
このブログを書いている。

今年1年振り返ってみれば、
自分自身もバイクもトラブルの多い年だった。

まずバイク。
1年前に中古で購入したBMWが、
8月の深夜に帰宅途中、突然エンスト。
そのままエンジンがかからず入院。
クランクシャフトの部品が壊れてしまい、
その部品をドイツまで取り寄せることになり、
結局退院したのは11月に入ってから。
その間、ハーレーに乗っていて、
ハーレーはずっと故障知らずなので安心していたら、
つまらないところで転んでしまい、
クラッチレバーが折れ、ハンドルについている
グリップヒーターのスイッチが壊れてしまった。

自分自身としては、身体のトラブル。
5月に生まれて初めて、帯状疱疹にかかる。
11月の健康診断では、便潜血検査で陽性に。
もっともその後の内視鏡検査で異常はなかったのだが、
逆流性食道炎になっていると診断される。
年齢的に節目の年なので、少々ガタがきている模様。

明らかに体力は衰え、元気に動ける時間も限られてきている。
来年からは1日1日を大事に、充実した時を過ごせるよう
何事にも貪欲に取り組みたいと思う。

江戸しぐさ

  • Posted by: 管理者
  • 2010年11月 9日 09:43
  • その他

軽々に聞こえるかもしれないが、小生のモットーは
自分にとってかっこ良い人生を歩んでいるかどうかだ。
何か悩みがあるときや判断に迷った時には、
今の自分の姿は、果たして自分にとってかっこ良い生き方なのか
どうなのかを自分に問うようにしている。

江戸っ子は”粋(イキ)”を好む。
粋な振る舞いのことを「江戸しぐさ」という。
江戸時代には、人口が急増したため、
狭い空間で庶民が互いに心地よく暮せる知恵があった。

例えば、
「肩引き」
すれ違いざまに相手にぶつからないように
片側の肩を後ろに引くこと

「傘かしげ」
傘があたったり、雨汁がかからないように
互いの傘を外側に傾けること

「こぶし腰浮かせ」
あとから舟に乗ってきた人のために
席を詰めること

「うかつあやまり」
他人に足を踏まれた場合、踏んだ本人は当然謝るが、
踏まれた人も不注意があったとして相手にあやまる

「時泥棒」
時間を大事にしていた江戸時代の人は、
突然他人の家を訪ねるのはもってのほかで
相手の都合を考えない人は時泥棒と言われた

「八度の契り」
8回の重要な約束を果たした後に、本名を名乗る
人間関係は慎重にせよという戒め

「三脱の教え」
年齢、職業、地位の三つの先入観を取り払って対等な
人間関係を築き、人の本質を見る
初対面の人には、この三つを聞かないという暗黙の了解があった。

「手斧言葉」
”うるせーな~”といった相手を切り捨てるような乱暴な言葉は
手斧言葉としてはばかられた。
また、そのような言葉を相手に使われた側も、
自分にも非があったから、そのような言葉を使われたと思って反省した。

「椋鳥」
群れをなして飛んできては餌をついばみ、
また群れをなして去ってゆく椋鳥のように自己中心的で
人の心よりも物や金を大事にするような人を椋鳥といって嫌われた。

「お心肥」
おいしい食べ物を食べて身体を肥やすだけでなく、
感性豊かに自分磨きに努めること。
学問や多様な経験が大事であるという意味。

自分も含め、最近こうした気持ちを持っている人がなんと少ないことか。
現代は物や金では豊かになったけれど、
江戸時代の方がずっと心は豊かだったのだろう。
我々もこうした気持ちを思い出し、かっこ良く生きたいものだ。
ちなみに、この”粋”は上方では”スイ”、
江戸では”イキ”と読んだ。

人との付き合い方

  • Posted by: 管理者
  • 2010年11月 4日 11:38
  • その他

先日、スタッフの結婚式に招待され、
初めて主賓として挨拶させてもらった。
その際、緊張してちゃんと伝えられなかったのと、
縁起の悪い言葉を避けてしゃべったため
本来言いたいことが言えていないので
この場で話してみたいと思う。

それは、人と長く付き合い、良い関係を長く続けるには、
その相手との「距離感」が大切ということだ。
こういうと何か冷たい感じがするし、
親しい間柄には距離感など無い方が良いと思われがちだが、
親しいからこそ、距離感が必要だと思う。
人は誰でも、相手に踏み込んで欲しくない領域を持っている。
また、その時の心の状態によっては、
とても人の相手を出来る状態でないこともある。
いわば、「親しき仲にも礼儀あり」ということだ。
親しくなればなるほど、相手の気持ちは常に
自分と同じだと思い込んでしまう。
そうした思い込みが相手の負担になったり、
ありがた迷惑になったり、余計なお世話になることも多い。
そうしたことが積み重なると、どんどん心が離れていってしまう。
最悪、かけがえの無い人を失ってしまうことになりかねない。

こうした状態にならないために、
相手とある程度の距離を持つことが重要だと覆う。
距離を持つということは、
相手から離れる距離でもあり、近づく距離でもある。
その距離は離れすぎてもいけないし、近づきすぎてもいけない。
その微妙な距離感をつかむには、
常に相手の気持ちになって考えることが必要になる。
また、その距離感は常に一定ではなく、
相手の置かれている環境などによって左右されるため、
普段から常に相手を良く見ることが重要だ。
ただ、この「相手の気持ちになって考える
普段から相手を良く見る」ということは、
言うは易し、行なうは難しで、決して容易なことではない。
病気で弱っているときや、気持ちが沈んでいるときなど
自分に余裕が無いときには、
とても相手のことなど考える余裕がなくなってしまう。
しかし、いつも相手の気持ちになって考えよう、
相手のことを見守ってゆきたい、といった気持ちは
必ず相手に伝わるだろうし、自然に行動に反映できるようになるはずだ。
そうした気持ちをいつも心に持って、人と付き合ってゆくと
きっと幸せな人生を歩んでゆけるのではないと思う。

人生で出会える人の数は限られている。
そうした限られた人々とはなるべく長く付き合ってゆきたいものだ。
人はそうした他人によって生かされていると思う。
自分が生きている証は、出来るだけ多くの人から自分の存在を
認めてもらうことだと思う。
そのためには、それぞれの人との距離感を大事にすることだ。
相手の気持ちになって考え、相手を普段から良く見ることによって
相手との距離を詰めてゆくことが出来れば、
きっと自分の人生もすばらしいものになると信じている。 

Marin Club

  • Posted by: 管理者
  • 2010年2月11日 13:01
  • その他

最近古くからの友人のお店がリニューアルオープンになった。
そのレセプションパーティが先週の日曜日に開催されたので
横浜の関内まで行ってきた。
お店の名前はMarin Clubという。
先代から続いており、実に30年の歴史を持つ。
以前は港町にありそうなアンティークな外国風の酒場の雰囲気で
カウンターも広く、落ち着いた雰囲気で良いお店だったが、
さすがに老朽化が目立ってきたのと、友人であるオーナーの
安くておいしい料理と酒を気軽に飲んでもらいたいというコンセプトで
ビストロ酒場マリーンクラブとしてリニューアルした。
店内の内装を全て改装され綺麗になっていたが、
基本的なレイアウトは変わっていないので、前の雰囲気が残っている。
内装は古めかしい感じから少しポップな感じになっていて
若い人たちも気軽に立ち寄れそうだ。

実はこの友人、小生と同い年だが、このお店以外にもう一店舗もっており
バーテンダーズ協会の横浜支部長もやっている活動家だ。
つい最近まで独身であったので、神戸出身ということもあり
年齢だけでなく境遇にも接点が多いため、何かと互いに刺激を受ける
ことが出来る貴重な友人だ。
これまでは、いつも横浜で楽しませてくれるにも関わらず、これと言って
あまり役に立ててなかったのだが、今回たまたま自分の人脈が少し
お役にたてたように思う。
小生の別の友人(この友人も20年来の付き合い)が、三崎のマグロ卸を
やっており、その友人をMarin Clubに紹介した。
そのタイミングがお店のリニューアルを計画しているところだったので、
互いのコンセプトが一致し、取引が始まっているとのこと。
また、このお店が港町の酒場を意識しているということで、
店内に飾る絵を柳原良平画伯に描いて頂きたいという要望があり、
この画伯と当社の大平会長が懇意であるというご縁から
当社の会長の紹介で画伯に絵を描いていただくことになった。
偶然ではあったが、リニューアルオープンにこうした形で関わることが
出来たことは大変うれしい。

そんな訳で日曜日は当社の会長と二人でレセプションパーティに参加
させて頂いたのだが、当社の会長は酒に強く、お店に行くまえに
ホテルニューグランドでシャンパンやワインを飲んだり、
中華街で紹興酒を飲んだ入りして、肝心のMarin Clubでは小生
不覚にもうたた寝してしまった。
ともあれ、5時過ぎにはお店を出て、お店の名前入りのラベルのついた
ワインをお土産に頂いて帰った。
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天海僧正遺訓

  • Posted by: 管理者
  • 2009年3月 1日 11:21
  • その他

先日、日光東照宮へ行ってきた。
ツーリングで日光には良く来ているが、
確か東照宮には小学校の修学旅行以来行ったことがなかった。
子供の頃の思い出しかないためだと思うが、意外に境内は小さく感じた。
東照宮の左手奥に日光山輪王寺の一画、大猷院がある。
この大猷院には、3代将軍徳川家光が奉られている。
そこの本堂で、若いガイドの女性が、天海僧正の遺訓を紹介してくれた。
天海僧正は、家康から家光まで3人の将軍に使えた怪僧で、
50歳くらいが平均寿命であった江戸時代において、
なんと108歳まで生きたと言われる。
その天海僧正が長生きの秘訣と伝えた遺訓。

気は長く、
勤めはかたく、
色うすく、
食ほそうして、
心ひろかれ

だいたい意味はわかると思うが、
気は長く持ち、短気にならないこと
与えられた仕事はきっちり勤め上げること
欲は薄く、惑わされないこと
食事は腹いっぱい食べるのではなく、腹八分に抑えること
心を広く持ち、でんと構えること
だいたいこんな意味だ。
大変シンプルな言葉だが、実に感慨深い。
単に長生きの秘訣だけではなく、
日々の生活や人としての生き方に対する基本的な教えのように思う。
特に、最初と最後の一節はいつも自分に言い聞かせたいと思い、
この遺訓が書かれた色紙を、会社の机の前に飾っている。 

富士山登頂

  • Posted by: 管理者
  • 2008年9月16日 03:40
  • その他

土曜日から日曜日にかけて富士山登山に行ってきた。
メンバーは取引先会社やそのクライアントなどで総勢9名。
小生はもとより、皆富士山登山は初めての人ばかり。
在日イギリス人も含む。

土曜日朝8時にバイクで家を出て、中央高速を河口湖ICまで向かう。
中央高速は連休の初日ということもあり、大渋滞。
こういう時はバイクのありがたさを感じる。
約2時間弱で河口湖ICに到着。
そこからスバルラインで五合目まで向かう。
ネットではスバルラインが渋滞という予測だったが、
まったくそのようなことは無く、30分くらいで五合目に到着。
他のメンバーは電車とバスを乗り継いで来るので、
1時間ほど五合目で彼らを待つ。

午後1時にいよいよ五合目を出発。
天気は曇り。気温はまずまずという感じで皆はりきって登ってゆく。
六合目あたりまでは会話も弾み、まわりの風景を見る余裕がある。
ただ、七合目あたりから体が重くなり、呼吸も速くなり始めた。
またこのあたりから足元が岩だらけになってきたり、
斜度が高くなってくる。
七合目からは山小屋が点在してくるのだが、直ぐ先に見えている
山小屋にたどり着くのが一苦労だ。
七合目から八合目までの登りが一挙に遅くなる。
ほんの10メートル進むと息があがり、
立ち止まって呼吸を整えないと前に進めない。
一足一足ゆっくりとしか進めない。
それでも、なんとか八合目の中間あたりにある
今夜の宿である山小屋「元祖室」までたどり着いた。
時間を見ると5時半。ほんの三合目弱を登るのに4時間半を要した。

 

image/fuji-1.JPG image/fuji-2.JPG

 

この元祖室のサイトには「当館では宿泊時、
無理に詰め込むようなことはいたしません。
安心して就寝してください。」と書いてあるが、
とんでもない!
一人一人の間隔は30センチくらいしかなく、
寝返りもうてない状態で詰め込まれてしまう。
しかも、団欒できる場所も無く、食事をとった後は
寝るしかない。唯一この山小屋で良かったのは、
比較的トイレが綺麗であったこと(もちろん有料だが)
最悪なのは、同じ部屋に大いびきをかく人がいて
とても眠れたものではなかった。
普通は皆9時頃までには就寝し、
1時半か2時くらいに山小屋を出発。
頂上でご来光を見るというコースだが、
他のグループのガイドの情報によると、その時間に出ると
九合目から大渋滞になるとのこと。
天気もあまり期待できなかったので、小生たちのグループでは
2時スタート組と4時スタート組に分けることにした。
2時スタート組は20代~30代までの若者組。
4時スタート組は40歳以上の中年組だ。
もちろん、小生は4時スタート組み。
お蔭様で2時にはほとんどの宿泊客が出てしまったので
ゆっくり仮眠を取ることができた。
(例の大いびきの人もいなくなった)
ただ、この宿に来てから頭痛が酷くなってきており
これは仮眠をとっても治らなかった。
恐らく、これが高山病だろう。

 

 

4時過ぎに起床し、宿を出る。
まだ夜中だが、満月に近い月明かりで
目が慣れてくれば少しだけ足元が見える。
宿では殆ど寝ていないが、それでも数時間は横になっていたので
体力は回復しているだろうと思ったのだが、甘かった。
ほんの5メートル進んだだけで息が切れ、足腰に疲れが出る。
ここからが一番辛かった。一歩一歩、延々と歩き続けるしかない。
少し登った頃に、空が白み始め、東の空に一筋の光の帯が見えた。
午前5時半ころ、その光の帯の下から丸い太陽が少しづつ上がってくる。
雲は我々の目線とほぼ同じ高さ。幻想的は光景である。
太陽は一瞬の輝きを見せ、また上の雲に隠れてしまった。
その間、約5分。八合目からであったがご来光を拝めた!
先に出た2時スタート組は、その頃頂上にいたのだが、
頂上では霙交じりの雪が降り、すっかりもやに埋もれてしまい
ご来光は拝めなかったそうだ。

 

 

raikou.JPG

 

そこから九合目までは、山小屋の間の細い道を抜けたり、
ほとんどがけ登りのような岩だらけの道を進んだりして
ますますきつくなる。八合目で引き返す人も多いとのことだが、
その気持ちが良く分かる。小生もこのあたりで一度後悔した。
小雨も降り始め、ガスに包まれ、きっと頂上にたどり着いても
何も見えないだとうな~という諦観が、ますます足の進みを鈍らせる。
とにかく何も考えずに一歩一歩進むだけ。
数歩進んで立ち止まり、また気力を振り絞って一歩を歩みだす。
この繰り返しを続けていると、突然目の前に立派な鳥居が見えた。
ここが9.5合目?と思ってその先の階段を登ると、
なんとそこが頂上だった。
頂上に来て万歳をしたり、拍手をしたりする人が多いがその気持ちが
良くわかった。これだけ苦しい思いをして登ってきたのだから、
達成感はかなり大きい。特に女性や老人には感心する。

 

 

cho.JPG

 

頂上にある石碑の前で写真を撮り、火口を見にゆく、
あいにくガスが酷く、殆ど何も見えない。
寒くて風も強いので、石垣の下に隠れて一休み。
宿で前日にもらった弁当。
といっても、白飯とふりかけ、肉の佃煮という粗末なものだが、
腹が減っていたせいか意外といけた。
景色を諦め下山しようとしていたときに、偶然ガスがなくなり、
薄もやの空に太陽のあかりが少しだけ見え始める。
おかげで、火口はもとより、観測所や
ふもとの景色もくっきりと見ることが出来た!
なんとラッキーなことか。
例の2時スタート組は結局頂上では何も見ることができなかったのに
我々のんびり組は、ご来光も頂上の景色も堪能できた。

 

 

 

 

午前8時、須走口から下山を始める。
登りと違って、この須走口はゆるやかな坂道で道幅も広く
大変楽な道だった。
ものの30分くらいで、八合目が見えてくる(登りは2時間かかったのだが・・)
ただ、このあたりから砂利が増えてきて、滑って転びそうになる。
滑らないように慎重に歩くのが、膝に堪える。
ゆっくり歩いていると返ってつらいので、リズムをとりながら
小走りに下りるのがちょうど良いようだ。
なんと、帰りは2時間10分くらいで五合目に着いてしまった。
五合目に到着したのが10時15分。
2時スタート組は我々より1時間以上早く下山していたのだが、
彼らが五合目に到着したのは10時少し前とのことなので
ほとんど到着時間の差がなかった。

4時スタート組の全員が五合目に到着したのは11時過ぎ。
そこで昼食を取り、解散した。
小生はバイクで帰り、他の人たちはチャータ-したマイクロバスで
温泉に向かった。
小生は温泉に入ると眠くて帰れなくなるのではないかという不安と
東京では夕方から雨が降るという予想だったので、
そのまま帰宅することにした。
バイクはHDなので、ニーグリップをする必要が無く足には負担が
かからないのだが、腰が厳しかった。
バイクを降りるのも面倒なのでノンストップで自宅まで帰った。
12時ころ五合目を出て、自宅に着いたのは2時過ぎ。
早速風呂に入り、ビールを飲んで一眠りした。

東京に住んでいる限り、いつかは登りたいと思っていた富士山山頂。
また一つ念願がかなった。
ただ、当分登ることは無いと思うが・・・

うわさのロシア人兄弟

  • Posted by: 管理者
  • 2008年9月11日 02:17
  • その他

大麻疑惑で世間を騒がしているロシア人兄弟は、
小生が住んでいるマンションにいる。
先週から、どうもマンション前にカメラマンがいると思っていたら、
なんとTVに小生が住んでいるマンションが映っているではないか。
確かに、マンションの近所には「北の湖部屋」や「大嶽部屋」がある。
相撲部屋というと、両国界隈という印象が強いが、
意外と江東区や中央区にも多い。
小生が良く行っている中央区のジムにも、お相撲さん達が
良くトレーニングに来ている。

もともと小生が住んでいるマンションには外人の居住者も多いのだが、
外資系の社員や企業家などホワイトカラー系の人がメインだった。
しかし、ここ最近、大柄な白人を見ることが多くなった。
どうやら、彼ら兄弟の友人が出入りしているのではないかと思う。
また、ここ最近マンションの風紀も乱れてきているようだ。
ベランダからゴミやタバコの吸殻を平気で投げる人もいるようで
1階の住人から苦情が出ていると掲示板に貼り紙されていた。
酷いのになると、火のついたままのタバコの吸殻を投げ、
ボヤ騒ぎになったこともある。

彼ら兄弟がクロかシロかはわからないが、
こういう事件があるとどうもそうしたマンションの風紀の乱れと
結びつけて考えてしまう。

長い夏休み

  • Posted by: 管理者
  • 2008年8月20日 08:35
  • その他

今回の夏休みは実質10日間という長い休みになった。
本来は13日から18日まで6日間の予定だったが、
祖母が急逝し、葬儀が10日になったので、
その後の手続きもあり10日から実家に帰ることとなった。
祖母は99歳、夫はもとより息子二人(その内の一人が小生の父)も
亡くなってしまっているので、相続人が小生と妹になる。
このため、小生が喪主となった。
5年前に父親がなくなった時には、喪主は母親だったために
手続き関係は全て母親にやってもらい、
葬儀の挨拶だけを小生が代行したのだが、
今回は小生が喪主であり相続人なので、
初めて体験することが多くいろいろと大変だった。
特に、祖母はずっと一人暮らしだったので、
我々家族は、祖母の近所との付き合いが殆どなく、
その土地の風習や、付き合い方などがわからず気をもんだ。
初日の葬式を終え、二日目には市役所へ行って届出。
住民票、国民年金、高齢者保険、介護関係など様々な窓口に
必要書類を提出しなければならない。
ただ、最近市役所もサービスがよくなったようで、至る所に案内嬢が
立っており、どの窓口を回れば良いか丁寧に教えてくれた。
また、各窓口でも、声をかけなくても職員の方から積極的に声をかけてくれる。
ただ、どの窓口で書かされる書類も記載する内容はほぼ同じなので
出来れば一本化してくれるともっとサービス向上になるし、窓口職員も
少なくてすむと思うのだが、このあたりの不親切さはまだまだお役所だ。
この市役所の対応に比べ、三日目に相談にいった国税事務所の対応は最悪だった。
大した財産があるわけではないので、結果として相続税の対象にはならなかったのだが、
対応した職員はお悔やみの言葉も無く、性格も暗そうで愛想が全くなかった。
高額納税者でないとちゃんとした対応をしてもらえないのだろうか??
この日は、祖母の家に行って片付けを少し行なったのだが、暑さと埃で
2時間くらいで引き上げてしまった。
一人住まいと言っても、1軒家だし、離れもあるので片付けが大変だ。
今後のことを考えると気が重くなってしまった。
この日の夜から、咳が出て、すっかり風邪を引いてしまった。
四日目は、近所の挨拶回り。祖母が生前世話になった人と、
民生委員の人に挨拶に行く。
二人の自宅がわからず、歩き回ったためにさらに風邪が悪化。
五日目は、甥っ子達と近所の公園に行ったり、
実家でゆっくりしようと考えていたのだが、母親が急に母親の実家で
開催される盆踊りを見にゆこうと言い出したために、
瀬戸内海の小島まで行くことになった。
そもそも、この盆踊りに参加することが今回の夏休みの目的の一つだったのだが、
祖母の件があったので、殆ど諦めかけていた。
この盆踊りは、母親の実家が主体で開催しており、子供の頃から何度も参加していた。
ただ、大人になってからはなかなかタイミングが合わず参加できなかったので
今回参加することを楽しみにしていたのだ。
体調は悪かったが、誘惑に勝てず参加することにした。
午後6時半の船で島にわたり、盆踊りが始まったのが8時くらいから。
全盛期の頃は、踊りの輪が三重になるほど参加者が多かったのだが、
今は過疎化が進み、一つの輪も出来ないくらい参加者が少ない。
体調の悪さも伴って、かなり酩酊していたので小生も何度か踊ったし、
櫓の上にも上って写真などとったりした。
宴は12時過ぎまで続き、その日はいつの間にか布団に入って寝てしまっていた。
案の定、次の日の体調はさらに悪化。
昼間まで寝て、4時半の船で実家に帰宅。
7日目は、姪っ子や甥っ子達と墓参りに。
甥っ子、姪っ子の目当ては、レストランでの食事と温泉スパだ。
8日目にやっとゆっくりできたので、会社のメールを整理したり、
祖母に関する今後の手続きを整理したりして過ごした。
3年前くらいまでは、とてもこんなに長期の休暇を取る事はできなかったが、
ここ2年くらいは、小生が不在でもしっかり会社を守ってくれるスタッフも増えたので
わがままを言って休ませてもらっている。
また、親父が亡くなってからは実家の用事も何かと増えて、
今回のように実家に帰る機会も増えた。
つくづく会社のスタッフには感謝している今日この頃だ。

夏の社内旅行

  • Posted by: 管理者
  • 2008年8月 4日 12:15
  • その他

 

image/SYANAI.JPG

7月26日から1泊で社内旅行に行って来た。
社内スタッフも増えてきたので、今回は20人まで宿泊できる貸し別荘を
予約したが、ふたを開けてみると13名という寂しい結果に。
それでも、7月から入社したスタッフ二人は参加してくれたので、
きっと社内への溶け込みの役にはたったのではないかと思う。
新人スタッフが入社すると必ず歓迎会をやるのだが、
皆と仲良くなるにはこの社内旅行に参加するのが一番手っ取り早い。
仕事の繋がりが無くても、社内旅行に参加し、皆とバーベキューや
ゲームなどをし、一晩一緒に過ごすことにより自然と仲良くなる。
残念ながら今回は、外部の仕事のパートナーの方にはあまり参加
頂けなかったが、いつも毎回新しいパートナーの方にも声をかけ
積極的に参加して頂いている。
社内スタッフも仕事の繋がりだけでなく、こうしたプライベイトな場でも
社外パートナーの方々と交流を持つことにより、深い人脈を作れる。
さて、今回は那須高原の貸し別荘「はなみずき」のアーチハウスを借りた。
また、せっかくの運動の機会なので近くのテニスコートも予約しておいた。
小生はKino課長と二人でバイクで参加。
東京を出るときは多少曇り空だったが、これまでの社内旅行では
帰りに雨に降られることはあっても行きで降られるたことは無かったし、
降ったとしても一時的な夕立だろうと思い、決行した。
また、バイク仲間のINOさんたちもその日、日光方面へツーリングに出たことを聞き、
雨降りは無いと確信していた。
というのも、このINOさんは超晴れ男だからだ。
Kino課長と羽生PAで9時に集合。
宇都宮で東北道を降り、日光道路を通り今市から鬼怒川方面へ向かう。
この頃には天気も快復し、晴れ空が見えていた。
この鬼怒川は2年前の冬に社内合宿で泊まった場所。
その時のホテルの近くを通り、もみじラインへ。
もみじラインでは、前日に降った雨で道路が若干濡れていたが、
交通量も少なく快適に森林浴を楽しみながら走れた。
そこから、那須塩原へ出る。
ここは昨年夏の合宿で泊まったホテルがある場所だ。
くしくも、過去の合宿場所をなぞるコースとなった。
山から下り、西那須野に出たあたりから小雨が降り始める。
他のグループとの待ち合わせ時間まで余裕があったので、
蕎麦屋で昼食をとる。この間に雨が本格的に。
貸し別荘までホンの数キロの場所だが、合羽を着る羽目になってしまった。
テニスも出来ず、仕方が無いので皆で食料と酒を買出しにゆくことにした。
それでもまだバーベキューには早い時間なので、
数名で近くの温泉にゆくことにした。
お菓子の城の中にある那須山という温泉だ。
ここは午後4時から入浴料が1200円→800円になる。
4時10分前くらいについたのだが、さすがに400円の差は大きいので
皆で4時になるのを待ってから入浴した。
午後6時くらいからバーベキュー開始、最初は海鮮、その後肉、焼きそばと
食材が続いたが、小生が覚えているのは焼きそばの手前まで。
気がつくと、布団の中で朝を迎えていた。
他の皆は、その後麻雀などをやって朝5時頃まで起きていたようだが、
どうも歳の順にダウンしてしまったようだ。
最近の社内旅行では、どうも仮眠のつもりで横になるとそのまま寝てしまい
ゲームに参加できておらず不完全燃焼になることが多い。
翌朝まだ天気は回復しておらず、小雨が降っていたが、合羽を着ないで
帰路に着く。東京についた頃には晴れ空に。
結局今回の社内旅行はバーベキューと酒を飲みに行ったようなものだった。

人生に対する姿勢

  • Posted by: 管理者
  • 2008年6月 5日 06:08
  • その他

今読んでいる「心を癒す技術」という本に、
体の不調は無意識からのメッセージであり、そうした無意識から発生する
ストレスが病気の原因であると書いてある。
たとえば、腰痛現実逃避の現れだそうだ。
腰の筋肉が一番緊張するのは、"逃げ腰"になっているとき。
人は怖いものに出くわしたとき、腰が引け、体が不安定になる、
そのぶんどうしても腰を支える筋肉に力が入ってしまう。
これと同じで、腰痛や椎間板ヘルニアを患っている人に共通しているのは、
「逃げたい」という潜在意識があり、これが知らず知らず腰の筋肉を緊張させ、疲労させる。
疲労した筋肉は体重を支えられなくなり、それで腰を悪くするそうだ。
うーむ、当社の腰痛持ちのO部長もそうなのか??
ちなみに、このように体の不調、特に筋肉の異常が教えてくれる意識下の心の例として、
人生を重荷と感じるような消極的思考の人やコンプレックスの強い人には猫背が多い。

肩凝りになりやすいのは、闘争心が強い人。

頭痛には、自分いじめ的な思考パターンが現れる。

不眠症は、恐れや不満による筋緊張からくる。

喉の変調は、自己表現がうまく出来ないときに起こる。

体の不調は無意識が発するメッセージであり、
このような生き方をしていてはまずいぞという警告だそうだ。

複雑な結婚式

  • Posted by: 管理者
  • 2008年5月31日 12:15
  • その他

本日、初めての姪の結婚式に参列してきた。
初めてのとは、小生には姪っ子と甥っ子がそれぞれ、2人と一人おり、
その姪っ子の一人が今日結婚した。
本来であれば、諸手をあげて祝福すべきところだが、事情は少し複雑だ。
なんとこの子は18歳。この春高校を卒業したばかり、
かつ、出来ちゃった結婚。

身内びいきだが、この子はなかなか外見が綺麗な子で、昔から結構もてた。
本来であれば、もっといろいろ恋愛をして、20代半ばくらいで結婚して欲しかった。
だが、人生は皮肉なもので、外見の良さがあだとなり、
高校では酷い虐めにあってしまい、高校を変わる羽目になってしまった。
そうした傷心の中で出会い、心を癒してくれたのが新郎だったのだろう。
ただ、この姪っ子は人からちやほやされるのに慣れているので、
まだ人を本当に好きになったことがないのではないかと思う。
これまでも、自分から好きになるよりは、相手から好きだといわれて付き合い、
数ヶ月で自分が嫌いになると別れていた。
だから正直、この新郎と付き合いっているのを聞いたときも、
どうせ、長く続かないだろうと思っていた。
それが、いきなり出来ちゃった結婚である。
結婚は仕方ないけど、子供だけは安易に作って欲しくなかった。
(本人たちは、決して安易だとは思ってないだろうけど・・・)
これが小生の正直な気持ち。
この子の父親も複雑な面持ちで、花嫁とバージンロードを歩いていた。
もっとも、未だに独身である小生が偉そうなことを言えた義理ではないが(笑)

5月度D-ONE懇親会

  • Posted by: 管理者
  • 2008年5月19日 06:06
  • その他

先週の金曜日にD-ONEの懇親会を開催した。
今回は勉強会も無く、あまり声がけもしていなかったので
あまり集まらないだろうと思い、10名でカフェを予約していた。
ところが、どういう訳か、今回は15名くらい参加があった。
いつも参加してくれているメンバー3名が、
それぞれ新しい知人を連れてきてくれたのが主な増加要因だ。
現在この組合の活動のメインはこの懇親会と勉強会になっている。
特に懇親会ではこのように新たに新しい参加者が増えると、
そこで新たな仕事が生まれたりして、なかなか評判は良い。
ただ、単純に毎月互いの顔を見て、とりとめも無い話をすることを
楽しみにしてくれている人もいる。
参加メンバーが少なく、寂しい会の時もあるが定期的に継続することに
意義があると思っている。
この懇親会へは、D-ONEの組合員でなくてもメンバーの紹介があれば誰でも参加できる。
3000円で人脈が作れ、あわ良くば仕事に繋がることもあるので
なかなかリーズナブルではないかと思う。
D-ONEは事業協同組合という法人格を持っている。
この事業協同組合は、その名の通り組合員同志で事業を行なうことが目的なので
受動的に参加するだけでは、組合員になるメリットが無い。
このため、懇親会への参加は自由とし、懇親会に参加している理事連中から
事業の内容や可能性を聞いて、自ら主体的に組合を使ってくれる人に
組合員になってもらうようにしている。
今回の懇親会でも、組合で共済などの保険事業や福利厚生事業をやりたいという方
(この方は何度か懇親会には参加してくれていて、理事連中は顔見知りとなっている)
に参加頂き、早速理事会でその内容を検討した。
6月から組合の理事に就任頂き、具体的に保険事業などを進めて頂く予定だ。
ただ、組合にはちゃんとした事務局が無いので、
事業を進めるにあたっては、担当理事の方、自らが自社のスタッフなどを使って進めなければ
ならないといったリスクがあり、組合に対し推進力を求める方はだいたい挫折してしまう。
したがって、自分の事業の一環として組合の事業を捉え、
組合の公共性やネットワークをうまく活用して頂くことが重要だ。
ちなみに、小生は組合の中で共同受注事業を担当しているが、
当社の売上げの2~3割が組合を通しての受注となっている。

美観地区

  • Posted by: 管理者
  • 2008年4月29日 11:53
  • その他

GWに帰省した際に、先日肋骨を骨折して入院した
99歳になる祖母を見舞いに行ってきた。
その祖母が入院している平成病院は倉敷市の中心にある。
そこに行く途中、同行した母や姪っ子とファミレスに入った。
そこの窓からすぐ横に見えたのがアイビースクウェア

 

image/IVY.JPG

倉敷で最も有名な白壁の町「美観地区」がある。
翌日に甥っ子と姪っ子をつれてどこかに遊びに行くつもりだったので、
ふと思いつき、この美観地区に遊びにゆくことにした。
小生がこの美観地区に訪れたのは、おそらく学生時代。
実におよそ30年ぶりになる。
いつでも行けると思い、ずっと行っていなかった。
きっとこんな機会でもないともっと行かなかっただろう。
当日は休日にもかかわらず、午前中に到着したせいか予想外に観光客が少なかった。
美観地区の入り口近くのコインパーキングも運良く空いていたのでそこに車を停める。
この美観地区は一般の道から、すぐに行けるほどあっけなくたどり着ける。
皆に良く知られている白壁の旧家や水路のあるメイン通りは、
実は非常に短く、たぶん全長1Kmくらいしかない。
その中に大原美術館を初め、倉敷考古館、倉敷民芸館などがある。
また周辺には上述したアイビースクウェアもある。

image/bikan1.JPG   

image/bikan2.JPG

このアイビースクウェアは、倉敷紡績所の建物を利用して作られた施設で
ホテルやウェディング会場として人気が高い。

この地域はあっという間に見て回れるほど狭くて小さな場所だが、
江戸時代や明治時代にトリップしたような空間だ。

image/oohara.JPG

それでも、足の悪い母にはかなりくたびれたようで、
そのあと行く予定であったチボリ公園をキャンセルして
近くの蔵湯というスパに入りに行った。
その後は、実家の近所の深山公園を散歩して帰った。
天気も良く、なかなかのんびりしたい一日だった。

4月度D-ONE勉強会&懇親会

  • Posted by: 管理者
  • 2008年4月23日 13:16
  • その他

当社が加盟している事業協同組合(D-ONE)では、
毎月定期的に勉強会と懇親会を開催している。
今日は、D-ONEが今年度の通年テーマとしているセキュリティ関連だ。
講師は、D-ONEの常務理事であり、プライバシーマーク取得コンサルも事業としているT氏。
今回の勉強会のテーマは「物理的安全対策」。
最近セキュリティというと個人情報に代表されるように情報管理(IT)が何かと話題になるが、
会社全体の安全対策としては、入退出の管理など物理的な安全対策も
必須不可欠の要素であるという話だ。
当社も最近では大手のクライアントとの取引も若干増えてきているので、
そろそろ、そうした対策や体制をとっていないと商売の弊害となるようになってきており
切実な問題で、このような勉強会は非常に役に立つ。
できれば、当社のスタッフ全員に聞かせたい話である。
勉強会のあと、恒例の懇親会が始まった。
懇親会から参加する人もあったが、約10名くらいしか参加がなかったので
少し寂しい懇親会であった。
ただ、いろいろな職業の経営者の集まりなので、
仕事の関係は無くともお互い気心の知れた人々なので気軽に話ができる。
もちろん、同業も多く仕事に繋がる話も多い。
まだまだ参加メンバーは少ないが、こうした仕事の真面目な話も出来、
くだらないよもやま話もできる仲間との懇親は楽しい。

 

春の社内旅行

  • Posted by: 管理者
  • 2008年4月20日 11:00
  • その他

 

 

image/IMG_0298.JPG

この土日で恒例の社内旅行に行ってきた。

場所は山中湖。温泉付きの貸し別荘だ。

今回は新人スタッフ3名が加わったり、奥さんや彼女を連れてくる人も
いたので、これまでの社内旅行の中で最大の人数になった。
総勢17名だ。
小生とKino課長はバイクで、その他、車2台とバスという3つの交通手段で
現地集合した。
前日まで雨が激しく、土曜日は天気が心配されたが、なんとか雨も上がり、
晴れ間も見えてきていた。kino課長と東名の海老名SAで11時に待ち合わせ。
そこから御殿場に出て、富士山を左周りに回るコースをとった。
富士山スカイラインを走ったが、まだ五合目は閉鎖されていた。
山腹は霧も深く、寒かったが、本栖湖近くの高原を走った時は
風も温かく、快適だった。
富士五湖に沿って富士山を回り、午後3時に山中湖の貸し別荘に到着。
夜のバーベキューの材料を買出しに行った後、この貸し別荘自慢の
専用温泉に入る。当然貸切なので、Kino課長と湯船でビールを飲む。

  

image/roten1.jpg

ゴルフをしていたグループが到着したので、バーベキュー開始。
今回ゲストで参加してくれた神田のケンさんが差し入れに持ってきてくれた
高級ステーキ肉を炭で焼き、美味に酔いしれる。

 image/IMG_0267.JPG

image/IMG_0270.JPG

 

バーベキューの後は、マージャン組、トランプ組などに別れ皆夜遅くまで遊んだ。 

 

image/IMG_0285.JPG  

image/IMG_0286.JPG

 

翌日は皆前日の疲れから、殆どのスタッフがチェックアウトとともに帰路についた。

小生は昼の12時過ぎに自宅に到着。走行距離約350Km 。
前日にいきなりプロポーズをしたというスタッフに驚かされたり、
一緒にいったパートナー会社の社長は風邪で高熱で貸し別荘で寝込んだり、
その会社のもう一人の役員はバーベキューで全裸になったり、
いつものようにハプニングはあったものの、
ツーリングに社内懇親にと充実した社内旅行だった。

浅草見附

  • Posted by: 管理者
  • 2008年3月31日 05:39
  • その他

image/asakusamituke.jpg最近、ウォーキングというほどのものではないが

歩くことにはまっている。
昨日も時間を潰さなければならない用事があったので、
1時間ほど東日本橋から神田、浅草橋あたりを歩いてみた。
町歩きでの楽しみは、歴史の名跡やお店を見つけること。
昨日も、浅草見附跡を発見した。
浅草橋のたもとにひっそりと石碑が建っている。
見附といえば、赤坂見附が有名だが、
見附とは"城外を見張るために設けた番兵の居所"という意味。
江戸城には外堀沿いに36箇所の見附があったという。
この浅草見附は日光街道への入り口として立てられたもの。
以前兄弟会社のデジタルコスモス社の事務所が浅草橋にあったので
浅草橋には結構通っていたのだが、
当時はこの見附跡に全く気づかなかった。
こういうちょっとした発見があるので町歩きは楽しい。
この浅草橋は、屋形船のメッカでもあり、
夕暮れ時に色とりどりに電飾された近代的な
屋形船を眺めながら帰路に着いた。

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